老親に教わる事 

「こんなに急に、進行するなんて・・・。」

たった半年で自分で立つ事も食べる事も出来なくなった父。

仕事で長年扱って来た高齢者分野の知識。

日本の高齢化の実情や高齢者関連の制度・法律、介護の実態など

ある程度の事は理解しているつもりだった。

高齢者をテーマにした本を読み、研修にも参加して来た。

もし、遠くに住む自分の親が介護が必要になったとしても、

大丈夫なように、日ごろから心がけて来たつもりで

いい気になっていた。

ゴールデンウイークに帰省した時には、弱ってはいたけど、

一緒に海岸に散歩にも行けた父が

お盆には、おむつをし、母に支えられなければ

立てない・歩けない状態になっていた。

その状況を受け入れるのに、必死な自分。

実の親がおむつを使い出すという事実。

だが、下の世話の母の介助の苦労を知ると

それしか方法がないのだと痛感する。

知らなかった・・・。

というより、電話では何一つ聞かされていなかった。

知識として、老化の事や介助の工夫などを知っていても

役に立てなければ、何の意味もないのだと思い知る。

そして、9月。

父が入院したと知らせを受ける。

食事をうまく飲み込めなかったための

誤嚥性肺炎。

発熱を風邪と思い込み、薬で治そうとした母。

昼間も夜中も一人で、

もし、このまま、

父が亡くなってしまうような事になったらと

不安を抱え、

熱で汗だらけの父のパジャマとシーツを変えたという。

疲れが限界に達した頃、

ようやく入院出来、心底ほっとしたと言う。

誤嚥性肺炎・・・。

高齢者の食事で一番、注意が必要な事。

私は知っている。

だから、母も当然、知っていると思っていた。

だが、医者から言われても、

母は、最初、何の事か分からなかったと言う。

さらに、検査で分かった事実。

40代の頃、喉頭がんで放射線治療を行い、

がんは完治したものの、ものを飲み込む神経を

片方焼き切ってしまった父。

父は、その後の長い生活の中で

残った方の神経だけで食事をして、

その神経がついに摩耗してしまったらしい。

もう、口から食べる事が出来なくなった父。

これから、どうするか、家族は選択を迫られる…。

いざ、身内に介護が必要になった時、

どれだけ、本を読んでいても、

どんな講演を聞いていても

実際に起こる事を目のあたりにして、

何も出来ない自分がいた。

母の邪魔にならないようにするだけで

精一杯。

最初は、病床に横たわった衰弱した父を

まともに見る事さえ、出来なかった…。

知識と経験が、

これほどかけ離れたものである事を

思い知らされた父の入院。

これから、どうなるか分からないという

不安の中、

「家に居ても何も出来る事はないのだから、

自分の生活を大事にするように」と

母に促され帰宅した自分。

高齢者とひとくくりにするけれど、

ひとりひとりに、その人だけの

人生があり、家族がいて、

みな違う形で人生の終末を迎えようとするのだと

あらためて気づかされる。

今を生きるという事は、

どのように死を迎えるかにもつながるという

あまりにも当たり前の事に

気づかされた9月の連休。

老いて、なお、その生きざまで

いろいろな事を教えてもらえる

親の存在。

まだ、何も終わってはいないけれど

自分の弱さや未熟さを

嫌という程、思い知らされる日々だけど

この経験を

何かの形で次の世代に伝えて

いければと気持ちを引き締める。

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