ともしびプリン

これが最後の誕生日。

食が細くなり
あまり食べる事が
出来なくなった父と
母のささやかなお祝い。

小さなプリンに
1本のろうそく。
なごやかに、
また、一つ
年を重ねた月日への感謝を
二人で思った事だろう。

それが、
父の急な入院の連絡を受け、
電話で母に聞いた
エピソードだった。

その日、
珍しくプリンを
すべて食べた父。

食べられるように
なったと思い、
母は夕飯に
季節の栗ご飯を出す。

それが、こんな事に
なるとも知らずに。。

誤嚥性肺炎。
高齢者分野では
死因の一つとして
よく聞く病状。

まさか、栗ご飯が
肺に入り、
体調を悪化させるなんて
思いもせず、
急な発熱と
意識の混濁に
原因が分からず
なすすべもなかった母。

病院で
誤嚥性肺炎が
分かったのは
発熱から3日も経ってから。

誕生日のプリンに
灯されたであろう
明かりは
私の中では
まるで命のともしびのように、
思えた。

母からの知らせを聞き、
はやる気持ちで
仕事終わりに
新幹線に乗り
実家に向かう。

「もう長くないかもしれない」
母から電話で聞いた
お医者さんからの言葉が
頭から離れない。

ほとんど意識がない父の
手を握り、
苦しげな呼吸を繰り返す父を
見つめる事しか出来なかった
病室での時間。

そして
翌朝。
症状は少しよくなり
穏やかに眠る父。

消えずにすんだ灯火。

ほっとする私。
でも・・・。

入院直前には
ほとんど歩けなくなっていた
様子の父。
これからどうなるんだろう?

老老介護が
さらに、続けば
母が倒れてしまうかもしれない。

現実と向き合う時間が始まる。

高齢社会。
多くの家庭で同じような事が
起こっているのかもしれない。

1ヶ月前。
お盆の頃には、
自分で食べて、
しゃべって、
歩いていた父。

あまりの急な変化に
うろたえてしまう
弱い自分。

けれど、
父の姿を通して
自分の生き方や人生を
嫌でも振り返る機会を持つ。

こうして
世代に渡り、
生と死に向き合い
静かに考える時間を
持たせてもらえた事に
親の存在の大きさを
改めて感じる。

あなたは自分の人生が
限りあるものと気づいていますか?
今の生き方で満足していますか?

もし、何か感じる事があるなら、
立ち止まってみてもいい。
少し、ちがう道を
探し始めてもいい。
私は、そう思う。

命のともしびは
確実に
いつか消える。

その瞬間、
自分は穏やかに
その事を受け入れられる
生き方をしているだろうか?

もし、自分に意識がない時
私を見守ってくれる人たちは
「この人は十分に
自分の人生を生きた。」

思ってくれるだろうか?

これから、
私達家族は、
いろいろな選択を迫られる
かもしれない。

人生は選択の連続。

自分が選んだ道を
こんなはずではなかったと
後悔する事も
あるかもしれない。

でも、それが
どれだけ難しい決断で
あったとしても
選ぶ前のイメージと
現実がどれほど
かけ離れていたとしても
自分自身で決めた道を
信じる勇気を持とう。

たとえ、いっとき、
後悔する時間があったとしても
選びとったその道には
自分にとって必要な、
大切な事がきっと
待ち受けているはずだから。

きっと、大丈夫。
選んだ先にあるものは
ともしびよりも
明るい光のはずだから。

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