拒食の君と過食の私

(2018.6.11記事)

カラン……。まるで、音が聞こえるようだった。その日、いつもは騒がしい大学の体育館は、一瞬、静まり返った。それが、その後輩と初めて会った日。

 

 その時、私は2回生。大学での生活にも慣れ、授業、部活にバイトと忙しくしていた。寮では4人部屋。プライバシー等どこにもない生活だったけど、メンバーも入れ替わり、年度初めの滑り出しは順調だった。たった一つ、部活に新入生がどの位入って来てくれるかという事を除いては……。

 

 毎年、新入生の獲得は2回生の責任だ。入部希望者にアピールするため、胴着とはかま姿でなぎなたを持つ。そう、私はなぎなた部に所属していた。入部の決めてになったのは、知り合いの一言。「あなたが卒業する年って、大分で国体があるでしょ。なぎなたの指導が出来れば、教員の採用に有利よ」何の迷いもなく、なぎなた部に入った。

 

 競技人口の少なさも魅力だった。大学では、なぎなた部がある学校が少なく、地方大会なしで、全国大会に出場できるというメリットがあった。しかも、場所は、武道館! そこに惹かれて入ってくる子も多かった。

 

 入部の理由は様々だけど、やはり、なぎなたは武道の一つ。体力が必要。試合では剣道のように、相手を打ち負かす激しい競技。根性もそれなりに必要。だから、入部希望者は活発で、やる気があり、たくましい感じの子が多かった。

 

 それなのに……。今、目の前にいる子は異常なほど、やせている。声は高く、はきはきしているが、どこか、不自然な感じ。その子を前にして、どう声をかけていいのか、後輩が入って来る事を心待ちにしていた2回生の私達は戸惑っていた。

 

 その日は、体験入部の日。希望者は、実際に防具を着けて、なぎなたを持つ。その子に着けた防具は、どれだけ紐をきつくしめても、体が細すぎて安定しない。カラン、カラン……。胴も、足に着けるすねあても空回りしそうなほどだ。

 

 その日の体験では、打ち合いの真似事もしたと思う。誰もその子の相手をしたがらない。打ち込んだりしたら、骨ごと折れてしまいそうだから。決めた! 私が相手をする! これも何かの縁だろう。実は、高校から過食で悩み、入学当初、ものすごく太っていた私には、その子の異常な体型が他人事には思えなかったのだ。

 

 思春期の食べ物に関するトラブルは深刻だ。周囲は引いてしまう程、外見が異常になっているのに、本人は気が付かない。ちょっと、人より痩せているだけ、太っているだけと思い込む。でも、無意識では、自分の異常な食生活に罪悪感を持っているから、虚勢を張る。自分は大丈夫。どこも異常などないなのだと……。

 

 まるで壊れた警報器。非常事態に働かない。周りも警報が鳴らないから、大丈夫なのかと思ってしまう。誰かが指摘するまで、非常事態は続く。本人も周りも、知らない間に事態がどんどん深刻になっていく。

 

 私の場合、過食の原因は親子関係と受験のストレスだったのだろうと思う。九州の親元から離れ、関西で全く新しい環境や人間関係になった事で、まともな食生活に戻り、2回生になる頃には、ちょっとぽっちゃり程度になっていた。だから、その子を見た時、ほっとけない気がしたのだ。

 

 私が出来る事は何でもしよう! その子の入部当初、専門家でもないのに、心理カウンセラーにでもなったつもりで、かいがいしく世話をした記憶がある。甘い考えだった。極度の拒食症は、素人がちょっと関わった位では変わらない。いや、逆に悪化させる場合もあるのだ。

 

 その事を思い知ったのは、その年の夏の合宿。高原に出かけ、5日間程、練習ざんまい。3日目。事件は起きた。宿泊先の民宿のご厚意で、夜中にお腹がすいたら、おにぎりにでもしたらとご飯を保温してくれていた。深夜、おにぎりでも作ろうと台所に行ったら、炊飯器が空っぽ! 一体誰が食べたの? 聞いて回っても、食べた人が誰もいない……。そう、誰も食べていなかったのだ。たった1人を除いて。

 

 先輩達が聞き取りをし、ようやく分かった犯人は拒食症の後輩だった。「そんなバカな! あんなにたくさんのご飯を1人で食べるなんて!」「しかも、食べた後にトイレで吐き出し、知らん顔をしているなんて……。」その後、その合宿がどうなったか全く覚えていない。ただ、ものすごくショックを受け、中途半端な気持ちで、この子と向き合う事は出来ないと心から感じた事だけは覚えている。

 

学校や社会で、「この子、病気?」と思ってしまうような異常な体型の子がいるかもしれない。出来る事なら、そういう子をうわさ話のネタにしたり、腫物にさわるような扱いにしたり、仲間はずれにしたりしないですむ社会になったらと思う。

拒食や過食は家庭問題や友人関係、複雑な事情が絡む事が多い。専門的な治療が必要な場合が大半かもしれない。学生の時は何も出来なかったけど、年を重ねた今、思う。過食や拒食に悩む君がいたら、素人でも、きっと何か出来る事があるはず。いろんな事を乗り越えた経験者として手を差し出す事が出来るはず。

≪終わり≫

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