リバース そのまなざしが見つめる先は

ふと、空中に手を差しのべる。

何かをつかもうとするように。

誰かをつかまえようとするように。

それは、

危篤状態を抜けた転院先の父を見舞った時の光景だ。

最初の病院に見舞いに行った時は、

医師から「もう、長くないでしょう。」と宣告され、

個室の白い小さい病室で

ひたすら、天井を見つめていた父。

その時は、

自宅で高熱にうなされ、意識がほぼないまま入院し、

手当を受け、意識を取り戻した。

家族は、その急な展開に動揺し、

父自身の気持ちなど考える余裕すらなかった。

最初の入院先は

実家から歩いてでも行ける小さな個人病院。

最新の検査設備があるわけでもなく、

発熱の原因も「誤嚥性肺炎でしょう。」という程度で

詳細はよく分からないままだった。

父の意識が、ずっともうろうとしたままだったら、

きっと、その個人病院で最期を迎えていたと思う。

しかし、意識を取り戻した父は、

誤嚥性肺炎の治療のための絶食絶飲を嫌がった。

「飲みたい。」「食べたい。」

ずっと、請い続ける父を看る母。

このまま、飲まず食わずのまま

最期の時を迎えるとしたら、

何て残酷なのだろうと、

自分まで食欲を失くしていた。

そして、その病院の先生から言われた

「もっと大きな病院に移りますか?」の一言。

まだ、何か父に対して出来る事があるならと

母は転院を決める。

熱のせいで、意識がはっきりしないまま

救急車で転院先に運ばれた父。

目がさめたら、4人部屋。

天井も高く、同室の方が3人。

意識を取り戻すと、すぐにリハビリ。

ほとんど動けない状態でも、

言語聴覚や足のマッサージ、

散歩に検温、おむつ替えと慌ただしい。

その合間、ふと、1人になった時、

「自分はどこにいて、何をしているんだろう?」

こう思ったとしても、不思議ではない。

最初の病院に見舞いに行ってから一か月後。

転院は聞いていたが

父は小康状態と聞き、安心していた。

ところが…。

明け方3時に母からの着信。

その日は大事な仕事が入っていて。

睡眠をしっかりとるために、

スマホは音が出ないようにしていた。

早朝5時。母に折り返し電話をかける。

「お父さんが危ないみたい。」

案の定、父の危篤の知らせだ。

仕事を終え、すぐに新幹線に飛び乗る。

実家に着いたのは夜遅く。

その頃には、

父の様態は落ち着いていた。

「一体、後何回、これを繰り返すのだろう?」

苛立ちにも似た気持ちで、

翌日、父の病室を訪れた。

「オレの具合、良くなってる?」

父と2人きりになった時、父がもらした一言。

「え?」

私の聞き間違いかと思った。

どの病院でも、

医師から聞いた話は「もう、長くない。」というものばかり。

家族全員、それぞれに覚悟をしている中、

父は、病状が回復し帰宅する事を考えている。

リバース。

この時、初めて父の視点でまわりを見た。

リハビリは、もっと生きるためのもの。

設備も立派で、たくさんのスタッフのいる

大きな病院に移ったのは治療のため。

「俺は、良くなって家に帰る事が出来る!」

そう父が思ったとしても、全く不思議ではない。

車の運転が出来ず、どこに行くにも、母の運転だった父に、

病室で、見舞う度に母が言う。

「お父ちゃんは、私が必ず車に乗せて家に連れて帰るから。」

そこに、”元気になったら”という言葉はない…。

だけど、父は信じているのだろう…。

自分の回復と帰宅を。

この時初めて、父の気持ちに少しだけ

寄り添えた気がした。

一度、父の意識がはっきりしている時に尋ねてみた。

「お父さん、この前、手を伸ばして、

何かとろうとしてなかった?」

「何してたの?」

父が答える。

「浮いてた。」「そこから、見てた。」

私は、もう一度、聞いた。

「誰が?」

「オレ。」

ほとんど聞き取れない声でつぶやいた。

医師から母が言われた一言を思い出す。

「ご主人、相当、認知症が進んでいます。」

父とのやり取りが、どこまで正常なものかは

私には分からない。

でも、父が手を差し出して、確かめようとしていた何かを

父の口から聞いた時、

父の人生の最期が近づいているような、

そんな気がして、いたたまれなくなった。

複雑な思いを抱え、病室に見舞いに行った私に、

「ありがとう。」とほほ笑む父の一言が

私の中のもやもやとした気持ちを

一瞬にして変えた。

あんなに無邪気に、純粋な

「ありがとう」なんて、

これまで父から言われた事がなかった。

幼い頃から、気にいらない事があると

父から殴られ、蹴られ、

玄関で正座をさせられた。

冷たいコンクリートの感覚と

叱られたみじめさは

大人になっても、しこりとなって残っていた。

それが、見事にとけていったのだ。

これから、”父危篤”の連絡で、実家と今いる場所を

何往復するかは分からないけど、

父との時間を出来るだけ大切にしようと

心から思えた今回の帰省。

父の今後がどうなるかは

誰にも分からないけれど、

「どうぞ、父が最期まで穏やかな時間を

過ごす事が出来ますように」と

祈らずにはいられない今日この頃。

入院している家族がいると

心休まる時間が持てないしれない。

でも、病室で、家族と過ごす時間は、

家族全員にとって、とても大切な心からの

コミュニケーションをとれる瞬間なのかもしれない。

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