はじめに
「地球温暖化」から「地球沸騰化時代」へ。国連事務総長が発したこの言葉は、気候危機がもはや遠い未来の脅威ではなく、私たちの日常生活に直接影響を及ぼす喫緊の課題であることを示しています。この巨大な問題に対し、教育現場で何ができるのでしょうか。実は、その答えの鍵を握る可能性があるのが「家庭科」ではないかと思います。中学校学習指導要領で「持続可能な社会の構築に向けて、生活を工夫し創造しようとする実践的な態度を養う」ことを目標に掲げる家庭科は、気候変動という地球規模の課題を、生徒一人ひとりの「衣・食・住」という具体的な生活実践に落とし込み、未来を生き抜く力を育む絶好の機会を提供するのではないかと思います。
この記事では、学校で家庭科を担当される先生方のために、気候変動対策の最新の考え方である「適応」を学ぶための決定版ともいえる書籍『ADAPTATION』を紹介し、その知見を中学校・高等学校の授業で活用するための具体的なアイデアを提案できればと思います。少しでも先生方のお役に立てれば幸いです。

1. 今、なぜ「緩和」だけでなく「適応」なのか?
気候変動対策を考える上で、まず理解すべきなのが「緩和」と「適応」という二つの柱です。これまで、CO2排出量削減を目指す「緩和」策が中心に語られてきましたが、すでに進行している気候変動の影響に備える「適応」策が、今まさに急をようする課題として重要性を増している聞きます。

緩和(Mitigation): 温室効果ガスの排出量を削減し、将来の気候変動を抑制する取り組み。カーボンニュートラルを目指す活動などがこれにあたります。
適応(Adaptation): 不可避な気候変動の影響によって生じる負の効果を軽減し、同時に正の効果(機会)を最大限に活用するための、人間および自然システムの調整プロセス。
なぜ今、「緩和」だけでは不十分なのでしょうか。その理由は、書籍『ADAPTATION』が示す核心的なメッセージに集約されているのではないかと思います。
「カーボンニュートラルを実現するだけでは、激甚災害や亜熱帯化する気候には対応できない」
たとえ明日、世界のCO2排出量がゼロになったとしても、大気中に蓄積された温室効果ガスの影響は続き、異常気象は避けられません。だからこそ、その影響を乗りこなし、被害を最小限に抑えるための「適応」という戦略が不可欠なのです。
表 1: 「緩和」と「適応」の戦略的位置づけ比較
| 項目 | 緩和(Mitigation) | 適応(Adaptation) |
| 目的 | 温室効果ガス排出量の削減。将来の気候変動を抑えること。 | 既に発生、または不可避な気候変動の影響への対処。社会のレジリエンス向上。 |
| 時間軸 | 長期(2050年目標など) | 短期~中期(即時的なリスク回避、現在の被害軽減) |
| 主な焦点 | エネルギー、産業構造、運輸部門の変革 | 農業、健康、水資源、防災、都市生活 |
| 本書の主張 | 不可欠だが、これだけでは激甚災害に対応できない | 生存と経済活動継続のための必須戦略であり、新たな機会(プラスの機会)を生む |
この「適応」という概念を体系的に理解し、授業に活かすための羅針盤となる一冊が、今回紹介させていただく『ADAPTAION』です。
2. 教師のための羅針盤:書籍『ADAPTATION アダプテーション』とは
気候変動の「適応」を授業で扱うには、信頼できる情報源が不可欠です。そこで決定版として推薦したいのが、書籍『ADAPTATION アダプテーション 適応 気候危機をサバイバルするための100の戦略』です。
アマゾンのリンクはこちらです。https://amzn.asia/d/3R26Xsf
- 書名: ADAPTATION アダプテーション 適応 気候危機をサバイバルするための100の戦略
- 編著者/著者: 肱岡 靖明 (編著), 根本 緑 (著)
- 出版社: 山と溪谷社
- 発売日: 2024.04.16
- 価格: 3,080円 (税込)
科学的知見と現場の実践知の融合
本書の最大の強みは、その著者陣にあります。編著者の肱岡靖明氏は、国立環境研究所の気候変動適応センター長であり、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書の統括執筆責任者を務めるなど、国内外の適応研究をリードする第一人者です。彼が提供するのは、国際的な科学的知見に基づいた理論的枠組みです。
一方、著者の根本緑氏は、同センターの専門員として、日本の適応情報プラットフォーム「A-PLAT」の「地域インタビュー」を主幹。全国60以上の現場に足を運び、先行事例を発掘・発信し続けてきました。彼女がもたらすのは地域固有の課題や工夫から生まれた実践的な現場の知恵です。
つまり本書は、世界最高水準の科学と、日本全国のリアルな実践知が融合した、まさに「適応」の教科書だと言えるかと思います。
9分野100の戦略を網羅
本書は、国立環境研究所の公式サイト「A-PLAT」に掲載された膨大な記事を再構成し、具体的な100の戦略を9つの主要分野にわたって紹介しています。
- 農業
- 林業
- 水産業
- 水環境・水資源
- 自然生態系
- 自然災害
- 健康
- 産業経済
- 国民生活・都市生活
これらの内容は、家庭科が扱う「衣・食・住」や防災、健康、消費生活と密接に関連しており、授業のヒントの宝庫です。さらに本書は、適応を単なるリスク管理ではなく、「新たな働き方(プラスの機会)」を生み出すポジティブな視点からも捉えており、生徒たちが未来を創造的に考えるきっかけを与えてくれます。
3. 家庭科の授業で活かす!『ADAPTATION』のテーマ別実践アイデア
『ADAPTATION』で示される包括的な戦略は、家庭科の授業で扱う「衣・食・住」や、健康、防災、消費生活といった身近なテーマに直接結びつけることができます。これらのアイデアは、エネルギー消費を抑える「緩和」の側面と、気候変動の現実に備え、生活の質を守る「適応」の側面を併せ持っています。ここでは、現状や授業のアイデアなどを3つの分野に分けて紹介します。
3.1. 【食生活】分野:食品ロスから考える持続可能な食
【気候変動とのつながり】 気候変動は私たちの食卓に直接影響を及ぼします。高温による米の品質低下(白未熟粒)、漁場の変化、ぶどうの着色不良など、生産現場ではすでに対応(品種改良など)が始まっています。
また、日本の食料自給率は2024年度時点でカロリーベース約38%にとどまっていますが、一方で、食品ロスは令和5年度で年間約464万トンと多く、国民一人あたりでは毎日約102グラムもの食べられる食品が廃棄されている現状があります。
【参考サイト】
農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/anpo/251010.html
環境省
https://www.env.go.jp/press/press_00002.html
気候変動によって生産そのものが困難になりつつある貴重な食料を、私たちは大量に廃棄しているのです。この矛盾こそが、生徒たちが向き合うべき核心的な課題です。
3.2. 【衣生活】分野:服の一生から考える賢い選択
【気候変動とのつながり】 衣服の生産から廃棄までのライフサイクルは、大量のCO2を排出します。特に、私たちが購入する前の「原材料調達から輸送まで」の段階で、排出量全体の約95%を占めるという試算もあります。この事実から、一枚の服を長く大切に着ることが、いかにパワフルな気候変動対策になるかを教えることができます
3.3. 【住生活】分野:安全で快適なエコハウスを目指して
【気候変動とのつながり】 激甚化する豪雨や台風による水害リスク、そして年々深刻化する夏の猛暑による熱中症。住まいは、気候変動がもたらす「災害」と「健康」のリスクに直接さらされる場所です。安全で快適な住まい方を考えることは、命を守るための適応策そのものです。
【授業での実践アイデア】 レジリエント(強靭)な住まいづくり
「防災」と「省エネ・快適性」の2つの側面から、気候変動に適応する住まいを構想する授業です。
Part 1: 防災 ― 災害リスクを知り、備える
- Part 1: 防災 ― 災害リスクを知り、備える
- 目的: 地域の災害リスクを把握し、家族と協力して備える計画を立てられるようにする。
- 活動:
- ハザードマップの確認: 日本損害保険協会のワークシート「安全な住まい 災害への備え」を参考に、自治体のウェブサイトで自宅周辺のハザードマップを確認させます。浸水や土砂災害のリスクを「自分ごと」として捉えさせます。
- 家の中の安全対策: 家具の固定や非常用持ち出し袋の準備など、家の中でできる対策をリストアップします。
- 家族で防災会議: 宿題として、ハザードマップの確認結果や避難場所、連絡方法などを話し合う「家族で防災会議」を開くよう促します。
Part 2: 省エネ・快適性 ― 健康でエコな暮らし
- Part 2: 省エネ・快適性 ― 健康でエコな暮らし
- 目的: 省エネと健康・快適性を両立させる住まい方とライフスタイルを学ぶ。
- 活動:
- 未来の住まいを知る: 長期的な適応策として、住宅の断熱性能を高めることの重要性や、エネルギー収支をゼロにする
ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)といった未来の住まいを紹介します。これらは、光熱費を削減する「緩和」策であると同時に、命に関わる猛暑や寒波から身を守り、冬のヒートショックなどを防ぐ重要な「適応」策でもあることを解説します。 - 今の暮らしを診断: 環境省のオンラインツール
うちエコ診断WEBサービスを紹介。5分程度の簡単な診断で、家庭のCO2排出量や具体的な省エネアドバイス(例:「電球をLEDシーリングライトに付け替える」)が得られることを伝えます。家庭で診断してもらい、実践できそうなことを一つ見つけてくる課題を出します。 - 身近な工夫: 『ADAPTATION』の健康分野でも触れられている「グリーンカーテン」など、すぐに実践できる暑さ対策(適応策)も紹介します。
- 未来の住まいを知る: 長期的な適応策として、住宅の断熱性能を高めることの重要性や、エネルギー収支をゼロにする
4. 授業をさらに深めるために
知識を伝えるだけでなく、生徒自身が課題を発見し、解決策を創造する力を育むためには「探究学習」が有効です。そのための優れた教材として、国立環境研究所が提供する「気候変動適応のミステリー」指導者向けガイドブックがあります。
この教材は、高校生向けに開発されたもので、以下のような探究プロセスを体験できるようです。
- ミステリーカードの選択: 「熱中症」や「食べ物の変化」など、気候変動の影響が書かれたカードから興味のあるものを選ぶ。
- 調査と分析: ワークシートを使いながら、その「ミステリー」が「いつ、どこで、誰に」影響を与えているのか、どのような対策が取られているのかを段階的に調査する。
- プロジェクトの考案: 最終的に、自分たちの学校や地域でできるオリジナルの適応プロジェクトを企画・提案する。
この能動的な学習は、生徒の問題解決能力を飛躍的に高め、学習指導要領が目指す「持続可能な社会の創り手」の育成に直結します。
5. まとめ:未来をつくる家庭科の役割
気候変動は、私たちの世代が直面する最大の課題の一つです。しかし、それは絶望の物語ではありません。家庭科の先生方は、この課題に立ち向かうための知恵とスキルを次世代に手渡す、最も重要な役割を担っています。
書籍『ADAPTATION』のような羅針盤を手に、気候変動という大きなテーマを「衣・食・住」という身近な暮らしの中に引き寄せることで、生徒たちは地球規模の課題を「自分ごと」として捉え、具体的な行動を起こす力を身につけます。それは、単なる知識の習得ではなく、不確実な未来をたくましく、そして創造的に生き抜くための「実践力」の育成に他なりません。
NotebookLMの活用
この記事はNotebookLMを活用して作成したものです。NotebookLMでは、音声解説やスライドを使用した動画も作成できます。下記のような成果物が出来ましたので、シェアさせていただきます。
【音声解説】
https://drive.google.com/file/d/1gWE6I6ippSd2o3yEu-dAT_JqlH3YofdB/view?usp=sharing
【動画解説】
https://drive.google.com/file/d/1BnmAoa63AUAGbsnp8uzynSrwrjpbohqY/view?usp=sharing
みらい家庭科ラボの先生方、この羅針盤を手に、生徒たちと共に未来を創造する航海へと、さあ、漕ぎ出しましょう。
6. 参考サイト・参考文献
書籍
肱岡 靖明 (編著), 根本 緑 (著) (2024). 『ADAPTATION アダプテーション 適応 気候危機をサバイバルするための100の戦略』. 山と溪谷社.
情報プラットフォーム・教材
国立環境研究所 気候変動適応情報プラットフォーム「A-PLAT」
https://adaptation-platform.nies.go.jp/
気候変動適応のミステリーを活用した調べ学習 指導者向けガイドブック
https://adaptation-platform.nies.go.jp/everyone/study/mystery/index.html
関連ツール・情報サイト
環境省 うちエコ診断WEBサービス: https://webapp.uchieco-shindan.jp/
環境省 サステナブルファッション: https://www.env.go.jp/policy/sustainable_fashion/
デコ活(脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動)
https://ondankataisaku.env.go.jp/decokatsu/
これらの情報は2025年12月現在のものです。今後、変更などがある可能性がありますので、ご了承ください。(終わり)